カンクンからのパトリ情報第2弾は、マヤを代表する遺跡・チチェン・イツァです!
そもそもマヤ文明とは何なのか?
マヤ文明とは、紀元前3世紀から12世紀にかけて、メキシコ南部からベリーズ。グアテマラ(場所は地図を調べて下さい〜!)で反映した文明です。ユカタン半島の平坦な大地に栄えたのは、後期から末期にかけてでした。
マヤ文明は高度な天文知識を有していたことでとても有名で、十数種類もの暦を持っていたとされいます。写真の大きなピラミッドはエル・カスティージョといわれていて、これは巨大なカレンダーだとも言われているんですね。ピラミッドの4つの面は、太陽暦の365日を表すように建造されているそうです!
そしてマヤを語る上で忘れられないのが、生贄の存在。そもそも神様そのものが自らの身体を犠牲にして太陽と月を創られたという伝説があるくらいなので、人間も生贄を捧げて天祈るというのは、マヤの人々にとっては当然のことだったようです。
写真の広々とした場所は球戯場と呼ばれていて、ここでチームに分かれて球技が行われていたようです。そして勝者のチームのキャプテンはその栄光として首をはねられ、生贄に捧げられたそうなのです・・・。普通に考えたら、なんで勝者の側が生贄になるのか不思議ですよね。しかしレリーフには、自ら進んで首をはねられる様子も描かれており、当時の人々の価値観は僕たちには分からないところがありますね・・・。
レリーフには、生贄の心臓を食べるジャガーや鷲が描かれていたり、串刺しにされたドクロが描かれていたりと、生贄の存在がどれだけ大切だったかが分かりますね。うーん、恐ろしい・・・。
2本の柱のようなものが上部に見られる写真は戦士の神殿といわれており、上には「生贄の台座」のチャック・モール像があります。ここでもまた生贄・・・。この台座に生贄の心臓を乗せたらしいですね・・・。う〜ん、想像しただけでも恐ろしい・・・。
その他にもまだまだ色々ありますが、とてもここで詳しく書くことはできませんし、僕自身もマヤ文明の専門家ではないので、よく分からないことばかりで・・・。詳しく学びたい方は、ぜひご自分で調べてみて下さい・・・!(笑)
でもなぜか昔からマヤ文明は大好きで、ついにチチェン・イツァに行けたことに僕はテンション上がりまくりでした!やっぱり僕は遺跡大好きですね!ぜひメキシコに行く機会がありましたら、チチェン・イツァとセノーテにも足を運んでみて下さい〜!
ふじもん