こんにちは!ふじもん@セルビアのベオグラードにやって来ました〜!
 
さて、僕自身はボスニア・ヘルツェゴビナの隣国セルビアにやって来たのですが、今回もボスニアのお話でレポートしたいと思います。
 
ボスニア・ヘルツェゴビナのレポートは内戦についての話ばかりなのですが、やはりこの国はこの内戦をなくして語ることは出来ません。そして今回は、「スレブレニッツァの大虐殺」と呼ばれている、セルビア人によるボスニア人に対してのジェノサイド(大虐殺)についてのお話です。
 
スレブレニッツァというのは村の名前です。その小さな村で、凄惨な虐殺が行われたのです。
 
僕は先日、このスレブレニッツァに実際に足を運んできました。とてもそんな事件が起こったとは思えないほど、村は静かで自然も豊かで、ゆったりとした時間が流れている村でした。しかし所々にはやはり砲撃を受けた痕がそのまま残る家々もあり、やはりここが戦場であったことを感じましたね・・・。
 
事件が起きたのは1995年7月のことです。わずか10日足らずの間に、なんと8,000人を超えるボスニア人がセルビア人によって虐殺されたと言われています。ボスニア・ヘルツェゴビナの連邦行方不明者委員会による、スレブレニツァで殺害されるか行方不明となった人々の一覧には、8,373人の名前が掲載されています。
 
2008年12月までの段階で、およそ5800人の遺体がDNA調査によって身元特定され、3,215人1がスレブレニツァ虐殺記念館にて埋葬されました。記念館では、埋葬されている人の名前が1人1人、碑に刻まれています。
 
さらにこの事件では、「エスニッククレンジング(民族浄化)」という政策まで取られました。これはボスニア人女性をレイプして妊娠させ、中絶が出来なくなるまで一定期間監禁を続けるのです。そしてその子どもを産ませることによって、ボスニア人の純血の人間がいなくなっていくことを狙いとした、非人道的な政策でした。
 
このような話だけを聞くと、まるでセルビア人だけが悪いような気がしてしまいますよね。しかし実際には、セルビア人もボスニア人によって幾度も虐殺を繰り返されたというのです。
 
まさに負の連鎖・・・。私たちはこのような歴史を、どのように受け止めたらよいのでしょうか。
 
僕は虐殺記念館にも訪れてきましたが、そこにはおびただしい数の墓標が建っていました。そしてそのほどんどが1995年没となっているんですよね。本当にもう、言葉にならない思いでした。まさにルワンダ内戦による虐殺現場を訪れた時と同じような心境でしたね・・・。
 
どうして人類は同じ過ちを繰り返してしまうのでしょうか。どうしたらそれを止めることができるのか・・・僕には正直分かりませんが、何かをしていかなければいけないのは間違いないと思うんです。これからを生きる僕たちが、皆で力を合わせて考えていかなければならないですよね・・・。
 
ふじもん