こんにちは!ふじもん@ボスニア・ヘルツェゴビナの首都、サラエボに入りました!
突然ですが今回は、いきなりホテルの写真です。これは日本でも有名な「ホリデイイン」というホテルですが、このサラエボにあるホリデイインは、ちょっと特別な意味があるんです。
それを説明するためには、そのホリデイインホテルがある前の通りの説明がまず必要なんですね。今では何てことはない普通の大通りですが、1991年から始まった旧ユーゴスラビア紛争のとき、この通りには恐ろしい別名が付けられていました。それは何だと思いますか?
答えはなんと、「スナイパー通り」。内戦時、ここを通るものは全てセルビア人スナイパーの標的になっていたというのです。それは女性も子どもも関係なく、全ての人間が狙われていました。なんとも恐ろしい話ですよね・・・。
ボスニア・ヘルツェゴビナにはザックリ言うと、セルビア人、クロアチア人、ムスリム(イスラム教徒)の3つの民族が住んでいました。しかし1992年、セルビア人を除く住民投票で独立の決定がなされたため、それを不服としたセルビア人勢力が軍事介入し、紛争へと発展したのです。
そのセルビア人勢力によって、一時サラエボは包囲されました(サラエボ包囲)。その結果、セルビア人スナイパーによる無差別な攻撃が起きてしまったんですね。このサラエボ包囲による犠牲者は約12000人とも言われ、その多くは一般市民だったんです。痛ましい話ですよね・・・。
そんな中、このホリデイインホテルは、世界中のジャーナリストの溜まり場だったんです。繰り返される惨劇の中、真実を世界に伝えようと奮闘したジャーナリスト達はどのような気持ちだったのでしょうか・・・。
そしてこの「スナイパー通り」の周辺の建物には、やはりまだ弾痕があちこちに残っています。モスタルでもそうでしたが、あの紛争の傷跡はまだたくさん残っているんですよね・・・。
ボスニア・ヘルツェゴビナは、東欧諸国の中でもやはり特別な雰囲気があるような気がしています。もっとこの国のことを深く感じたいですね。では次回もサラエボからレポート致します〜!
ふじもん
突然ですが今回は、いきなりホテルの写真です。これは日本でも有名な「ホリデイイン」というホテルですが、このサラエボにあるホリデイインは、ちょっと特別な意味があるんです。
それを説明するためには、そのホリデイインホテルがある前の通りの説明がまず必要なんですね。今では何てことはない普通の大通りですが、1991年から始まった旧ユーゴスラビア紛争のとき、この通りには恐ろしい別名が付けられていました。それは何だと思いますか?
答えはなんと、「スナイパー通り」。内戦時、ここを通るものは全てセルビア人スナイパーの標的になっていたというのです。それは女性も子どもも関係なく、全ての人間が狙われていました。なんとも恐ろしい話ですよね・・・。
ボスニア・ヘルツェゴビナにはザックリ言うと、セルビア人、クロアチア人、ムスリム(イスラム教徒)の3つの民族が住んでいました。しかし1992年、セルビア人を除く住民投票で独立の決定がなされたため、それを不服としたセルビア人勢力が軍事介入し、紛争へと発展したのです。
そのセルビア人勢力によって、一時サラエボは包囲されました(サラエボ包囲)。その結果、セルビア人スナイパーによる無差別な攻撃が起きてしまったんですね。このサラエボ包囲による犠牲者は約12000人とも言われ、その多くは一般市民だったんです。痛ましい話ですよね・・・。
そんな中、このホリデイインホテルは、世界中のジャーナリストの溜まり場だったんです。繰り返される惨劇の中、真実を世界に伝えようと奮闘したジャーナリスト達はどのような気持ちだったのでしょうか・・・。
そしてこの「スナイパー通り」の周辺の建物には、やはりまだ弾痕があちこちに残っています。モスタルでもそうでしたが、あの紛争の傷跡はまだたくさん残っているんですよね・・・。
ボスニア・ヘルツェゴビナは、東欧諸国の中でもやはり特別な雰囲気があるような気がしています。もっとこの国のことを深く感じたいですね。では次回もサラエボからレポート致します〜!
ふじもん